ぼくのかんがえたさいきょうのせかい awake

 ———。

 

 起動フェーズ、ファイナルシークエンス……完了。

 前任者からのメモリーデータインストール……完了。

 ジャッジアドミニストレーティブオーソリティ……エンプティ。

 

 パーソナルネーム:オメガ。駆動開始します。

 

 一定の機械音を経た後、視界が開ける。事前に通知されていた通り、機能に異常は無い

 現在の座標も三次元的に差異は無い。私が現在あるべき場所、室内である。

「お目覚め、なのは見れば分かる。エラーも無さそうっちゃね、ああ何よりだ」

 眼前の女性個体が私に言い放つ。長く緩やかな黒髪を掻き、若干乱れた白衣を着直しながら、元より眠たげとあった表情を更に疲労に歪ませ私の顔に無遠慮に触れた。

「ここでキミが私に攻撃の一つでも加えてくれたら愉快なんだが、そんな気も無さそうだね。実につまらない」

 この人は何を言っているのだろう。

「さて。私が村上詩織だという事は分かるね?」

 私の合成された頬を軽く摘みながらの問いに、首肯を返す。

「ならもう他の確認も要らんな。付いて来たまえ、早く引き渡しを済ませよう」

 村上詩織は私に背を向け、本当に早々に室外へと歩き出した。仕事人間であるのかとも考えられるが、ポケットに手を入れ煙草をふかしながら揺らめきを伴い歩く様を見せられると素直に肯定し難い。

 地下の部屋より、正しく距離を保ちながら私も後に続く事数分。適度な発展を遂げている都市を遥か下にエレベーターで見ながら、過ぎて来た如何なる部屋より大きく重厚な扉の前へと辿り着いた。村上詩織が扉横の指紋・網膜認証を解除し、プシュリと音を立てて扉が左右にしまわれる。

 と、更に現れた同じ大きさの木製の扉の中央を足蹴にし、私をその部屋の中へと招き入れた。それで良いのだろうか。確か入口のプレートは『社長室』となっていた筈なのだが。

 1フロアの半分を占めているこの部屋には、飾り気というものが全く無かった。中央に客対応用のテーブルとソファ、壁代わりの窓前に執務机、隅に申し訳程度の茶器が備えられている以外は剥き出しのセラミックグレーな壁と床のままである。この部屋の主、ひいては私の主の性格が垣間見えるようで安心だ。

 安心だ、などと私が感じている事自体が滑稽と言えるのだろうけれど。

「シャッチョサンシャッチョサン、お待たせしましたよ」

 村上詩織が部屋の奥へと調子外れな声を飛ばす。記載が無いが、この人間は一体この組織の中でどのような立場なのだろう。目覚めてここに至るまでに限ってもそれなりの暴挙———奔放さが認められるが。

 そのような事には全く触れる気配の無いその人は、世界を見下ろせるかのような窓際から一歩だけこちらへと振り返ると、静かな、しかし厳かな強さのある声でこちらに言い放つ。

「扉を蹴り開けるなと何度言えばその脳に刻まれるのだ」

 別に認められてはいなかったらしい。

 

 金銭的な処罰を口にされ「げ」と言いながら自分の端末を弄る村上詩織をよそに、主は私の前に後ろ手を組んだ背を美麗に伸ばして立った。

「先代同様いや、それ以上の働きを期待している。何せ我が社の最新ギアだ。最前線で、それこそ我が社の顔として、全世界へ誇れるよう励め」

「はい。歯車の最後の一つが滅ぶまで」

 祝いや労いの言葉がある訳でも無い、支配者然たる態度への返し。しかし、これが決して形骸的な物だけでない事を、私は記(し)っている。

 人間で言う初老の一般的概念に全く該当しない主は、やや黒みがかった隆々たる身体を垂直に保ったまま幾らかの業務的会話を私と続ける。近くで聞くと更に声の張りが凄まじい。70デシベル程度はあるのではないか。私でなければ一般会話すら公害認定されるかもしれない、恐るべき人間である。

 無論、この声量のみで人の上に立っている訳ではない。ノーベル物理学賞を45歳にして授された確かな技術力と発想力、そしてマネタイズの手腕があってこそ。人望は……どうだろう。先代の記憶ではそこまで詳細なデータは無い。何せほぼ主以外と関わりが無かったのだし。

 それは以後の業務において私が判別し、資料化しておけば良いだろう。うん。

「いや~、そんな機会も機械も無いんじゃないかなぁ~?」

 唐突に村上詩織が会話を遮る。あまりに唐突過ぎて主も僅かに面喰ったようだ。それはそうだろう、発言が意味不明だ。

「いやさ、製作者として創造物の意図を汲み取っただけさね」

 この人は技術者なのかエスパーなのかどっちだろう。社長室で煙草ふかして。

「私はただの良い女だよ。それはそうと、キミは微妙に自分の役割をまだ把握し切れていないようだね。社長、何故そこを初めに言わないのかな?」

「村上よ、お前はあれか。好物は最初に食べるタイプか。ならば相容れんな」

「すいません私ビーガンなもんで順番もくそも」

「菜食主義だろうがその中に優劣があろう」

「じゃあスムージーだけで生きてるって事でいいです」

 いよいよ何の会話なのか私にも推し量れない。

 この妙な流れを切るように主は咳払いを一つ入れ、

「オメガよ、私がお前の主であるのは今日までだ」

「本日邂逅したのに、ですか」

 専属従事契約解除には最低でも10日の猶予が必要だと法で定められている筈なのですが。何と言いましたか、確か自律型駆動機械雇用均等法、とか言うので。

 主は微かに瞳と口の端に茶目っ気を入れて私に返す。

「なに、別に貴様が用済みになったという訳ではない。でなければ先に業務指示など出す筈が無かろうが」

「左様でございましたか」

 おかしいです。私これでも我が社の最新AIを積んでいる筈なのですが、この人の意図が全く理解出来ません。先代はいったいどうこの人と仕事していたのでしょう。

 そもそも、このある種反社会勢力の首領に間違われそうな外見をしている人間がトップに立つ我が社が、企業・個人向けの従事・介護ヒューマノイドの生産と派遣を一手に担っているという事が微妙にまだ信じられない気がするのです。いえ、データ上は事実ですし何ならシェア88%という数字もあるのですが、人間で言うところのギャップと言うか皮肉と言うか、そういった理由で。

「別にこのマフィアのボスめいた爺さんが、目を輝かせてキミらを手ずから現場で作っている訳ではないのだがね。ましてや頬擦りでもしようものなら私でも吐く自信がある」

 補足してくれるのは良いのですが、本当にこの女史は私の思考吹替ソフトでも持っているのではないですか。警戒度の基準を何段階か上げておきましょうか。

 あと、流石に社長に対して無礼が過ぎる気がします。まだ私の主なんですけれど、現時点では。

「それで、結局私は誰に仕え、何をすれば良いのでしょうか?」

もう話の主導権だけはいただきましょう。有能ですから、私。こんな事をしても不興を買わないことは分かっています。

そしてやはり、主は一切気分を害した様子は無く私にこう返しました。

「孫だ」

「……お孫さん、ですか」

 一応確認しますが、我が社は平たく言えばお世話系ヒューマノイドの生産派遣会社です。

 おっと私社長秘書からベビーシッター的な部署に配置換えですかね?確かつい先程最前線で広告塔として励むよう言われた気がしたのですが。それとも今後我が社はそちら路線を売りにしていく御予定が——

「データにある筈だぞ~。社長のお孫さんは今15歳だ。メイド的な事は別の個体が既に長年やってくれてるさ」

 あ、本当ですね。何故か顔写真は無いのですけれど。

「孫が学生の間は念の為、社内にも存在は極力残さずにいたのだよ。いつ何時、孫に危険が及ぶやも知れんからな」

 ただ社長という立場上、血縁の存在だけは何かしら示しておかねばならなかったという事ですか。顔に似合わず親バカ、もとい爺バカな事を言いますね。この強面。

「自慢では無いが、孫は私に似て頭の出来が良くてね。既に会社の経理の一部を任せているくらいだ。おかげでその部においては17%無駄の改善が見られた」

 いや自慢ですよねそれ。それに未成年が手を加えて改善される無駄とは、一体どこを切り捨てたのでしょうか。

「それに私にもまだ教えてくれんが、大学留学の頃から何やら壮大な計画を立てていたようでな。正直、あの子の親ですらもう手が付けられん人脈も創り上げているらしい。いやはや、末恐ろしい孫だよ、はっはっは」

 それは笑いごとなのでしょうか。

 あと、お孫さんは既にそういう学歴の方でしたか。親御さんの話は出て来ませんが、主からすれば些事なのですかね、ご子息。この爺バカめ。

「それで。私の業務はそのお孫さんの従者という事で間違い無いでしょうか」

「うむ。基本はそれで間違い無い」

 基本は、とは。

「その……、孫のひた隠しにしている計画について探りも入れて欲しいと言うかな。少しで良いから情報を私に流して貰おうという事でだな、うむ……」

 何やら赤くなった顔を背けて口籠っておりますが、強面の老人にそんな事をされても私にとってはただ聞き取り辛いだけなのでやめて欲しいのですけれど。

 つまり、家族間の秘め事を探るのにわざわざ使われるわけですよね、私。一応最新のギア何ですけれどね、私。決してヒューマノイド尊厳を振りかざしている訳では無いですよ、ええ。

「無論、優先されるのは孫のサポートだ。近い将来我が社の長となり、遠くない未来に人類の頂点に立つ存在を支える。それこそ、ヒューマノイドの存在意義にふさわしい事ではないかね?」

 それはその通りなのでしょうが、随分な色眼鏡発言だと思うのですが。老眼鏡でなければいいですね、その色眼鏡。

 それに、一つだけ確認しておかなければいけません。まだこの人が主である内に。

「お孫さんの計画が人類にとっての悪であった場合でも、支える事が優先されますか?」

 その問いに、主は緩み切った顔を元に正し、再びあの静かで深みのある声になって返した。

「その時は貴様の判断において全力で阻止しろ。繁栄こそ人類の、我が社の命題であるのだから」

 

 

「私って別にさぁ、キミの秘書じゃないんだよねぇ。分かる?」

「それはもう、痛い程に。特に太腿の辺りが」

 社を出て移動中の車内。後部座席で膝枕をさせながら、腕を組みふんぞり返る人間というのを私は初めて見ました。愚痴付きで。交通はある程度自動制御されている世の中とは言え、村上詩織も一応人間なのですから安全装置くらい着用した方が良いとは思うのですが。いつ悪意を持って人間が突っ込んで来るとも限らないのですし。

 社長からお孫さんの元へ私を送り届けるよう命令された時もそうでしたが、この人の顔は基本歪んでますね。造形の話では勿論ありませんよ?

「ところで、村上様は主のお孫さんにお会いした事は?」

「ん~。残念ながら、今キミの求める情報を教えてあげられそうにはないよ。そもそも、私はとっても真面目な仕事人間だもんで、権力だ経営だ政治だのにはノン関心の研究者オブ研究者。他人の事なんか知りもしないっちゃね」

 ドヤ顔で私の顔に煙草をふかしながら言ってくれていますが、つまる所あなた友達いませんね?

「何か失敬な事考えてくれてそうだが、腐れ縁とでも呼ぶべき男が私にもいるのだよ。ヒューマノイドに必ず継承データがあるように、人間も必ず何かしらに繋がっているものだ。まあ勿論、無駄なものは極力排除して来てはいるがね」

「無駄、ですか」

「上辺だけの有象無象との付き合いなど私のようなタイプには不要なだけだよ。勿論、その無駄にこそ価値を求める人間の方が大多数なのだろうが、それは生涯の大いなる目的を為そうとする者の思想ではない。仕える者ならば記録しておくといい。己の主が、為すべきを為す者かどうかを見定めるという事をね」

「ヒューマノイドの私がそのような事をしても良いのでしょうか」

 主を自ら見限らないとも限らないような事を、創造物が創造種をジャッジするような事を。

 創造種であるところの創造主は、

「まぁ良いんじゃないかな。少なくともキミは私が作った訳だし、インプットされたデータとして入れ知恵も活用したまえ、はっはっは」

 そのような軽い笑いで済ませて良い話では無かったような気がしますが。あと流石に人の膝枕の上で煙草をふかそうとするのだけはやめましょう。灰が顔面に落ちますし。

「……記録の片隅にだけ置いておきますね」

 そうでないと、出会い頭に新たな主に失礼な視線とスキャナーを向けてしまいかねません。

 特別描写するような事の無い静寂を車内でもうしばし過ごしてから、私達は目的地である都内でも有数な田舎町へと辿り着いた。あくまでも都内。まごう事無き都内。の、田舎町。

 主曰く、お孫さんはそこそこ喧騒というものが嫌いらしい。自宅にいようが世界中の人間と会える時代、住居環境は最大限に大事だそうで。田園風景が残るような風景の中に、まるでそぐわない未来型邸宅がでででん。素材だけがメタリックな武家屋敷と言うか領主屋敷と言うか、防火防弾素材の薄白い塀に囲まれたそんな平屋である。

 なお、山の中でも何でもないのにご近所と呼べる家屋は百メートル以上先であり、商店街と呼べるものに至っては車が必要な距離。新たな主は余程閑静な環境が好きか、人嫌いかのどちらかだろう。

 身の丈の倍程度の高さ四方の門前で村上詩織と二人立っていると、センサーの起動音の後に重々しく扉が観音に開いた。私達の来訪は事前に伝わっていたらしい。

「ほう、中は存外スッキリしているのだね。無駄に庭園でも広がっているのかと思ったが」

 村上詩織の言うように、塀の中は外とは完全に別世界、全て同様の素材で囲まれているまさに未来型邸宅の範。塀に囲まれていたにも拘らず平屋だと分かっていたのはその1階層が単純に高かったからで、人によっては神殿と評したくなるかもしれない御宅だ。

 そして門から数歩しかない玄関前で更に何かスキャニングをされると、徐に中から『お入りください』と若干無機質な女性の音声がした。

「何だ、ここまで来てオープンはセルフなのかい。不思議な文化だな」

そのボヤキに多少同意しながら、私は金属製の玄関扉を音を立てて引き開けた。

 と同時に、激しく上体を後ろに反らす。そこに村上詩織がいないのは予め確認済み。

 1秒後、私の首があった位置をこぶし大の鉄振り子が勢い良く通過して行った。往復した事を確認した後、弱くなった振り子を上体を起こしてキャッチする。手の中で僅かにミシッと言った気が。

「…………わぁお」

村上詩織の間の抜けた声が、静かに響いた。

「本当に。この家の周辺の時代文化はどうなっているんかいねぇ、あっちゃこっちゃへ寄り道し過ぎじゃないかな。こんな某遺跡映画でしか見ないようなトラップを玄関に仕掛ける感性、100年位前に絶滅したかと思ったが」

 その頃と言うと、西暦がまだ使われていた時代でしょうか。20世紀半ばと言ったところでしょうね。

「しかし、よく初見で今のを回避出来たものだね。流石は私自慢の最新ギアだ」

「いえ、普通に扉を開けた瞬間中で何かが外れた音がしたものですから」

 重い金属扉の軋む音の影に隠れて、もう一つ。

 私が止めて慣性を失った振り子は、ゆっくりと巻き上げられ天井に回収されて行った。このトラップの優しい所は、扉が重いおかげでそこを支点に楽に体を反らせるという点でしたね。

 とは言え、普通かつ運動神経の鈍い人間だとこれを躱せたかどうかは疑問でしたが。

「やっぱり、ウチのギア相手だとこのトラップは効果が薄かったか」

唐突に、奥の曲がり廊下から声がした。

「普通の客なら、今頃そこに寝転んでいる筈だったんだけどな」

 そんな少々狂気じみた事を言いながら姿を現したのは、まだ骨格が成長しそうな少年。少し緩めに波を描く首筋までの黒髪が、壁に反射した照明のせいで無駄に艶めいている。上下黒いシンプルなシャツとパンツの素材はそんな事無いのに。

「……。ひじきか?」

 と、村上詩織が当人に届かない声量で口走った事は即座に私の記録からは消しておこう。誰の為にもならない。

 何はともあれ、主よりも不遜な態度で私達を出迎えたこの人こそが、

「問おう。お前が僕のパートナーか?」

 ……私が確認するより先に聞かれてしまいました。

「はい。パーソナルネーム:オメガ。これよりあなた様と契約させていただきます」

 胸に右手を添え、会釈する。

この相互確認で、我々の関係は今ここに結ばれました。簡単に聞こえるかもしれませんが、これで意外と複雑な法と意思に縛られているのですよ?口約束だろうが契約は契約です。会話は全て記録されてますし。

「あとこちら。私の設計者、村上詩織様です」

「ついでか、私は。まあ、どうも」

 特に頭を下げたりもせず、村上詩織も私の新たな主に面通しを終える。主は主で私達を改めて観察しているような素振り。

「次期社長。先に確認したいんだが、このトラップの原始さはわざとだな?」

 え、まず確認する事がそれですか。

「気になった事はとにかく確認したい性質でね」

「嫌いじゃないな、その性格。その通りだよ。充分油断してただろ、ここに来るまで?」

「ここまで風景に落差があればね、あるとしても誰だってもっとハイテクな撃退システムを期待するさ」

 それこそ、塀の中が日本庭園だったら少しは、ほんの少しくらいはそんな原始的な可能性も過ったかもしれませんが。

「まあ入ると良い。もうトラップは無いよ」

そう言って、主は廊下の奥へと消えて行った。

私も確認したかったんですが、玄関にトラップを仕掛けていたのは主がVIPだからですか?それともただの主の趣味なのでしょうか?

「呼び方の件だけど」

「は?」

天井の8割が天窓になっていた明るく広大なリビングに入るや否や、主がそんな事を言い出した。

「じーさんと同じなのはご免被るから、僕の呼び方は『マスター』で統一するように。そもそも主なんて呼び方はいまいち国内的だからな。僕の立場に合わない」

「かしこまりました、マスター」

 そもそも論を言えば、ヒューマノイドは国際規格なので別にその土地に合った言語体系をしてもらって一向に構いませんし、トランスレーターも最早誰もが持つ時代なので気にしなくても構わないと思うのですが。これもマスターの趣向という事で記録しておきましょう。

「じゃあ、オメガの生みの親たる私は次期社長の事を何と呼べば良いのかな?」

「好きに呼べば」

「をい!」

 マスターは村上詩織に興味が無いのでしょうか。

「オメガは直接の契約関係だから気にしただけで、僕自身が誰からどう思われようと興味無いね。所詮人間の評価なんて多分に主観が入るもんだ、そんな精度の欠く物に一々僕は振り回されたくはない」

 呼び方一つにそんな主張を聞かされるとは予測出来ませんでしたが、これもマスターの個性ですか。村上詩織は何だか顔が引き攣っていますが、これはどういった心境なのでしょうね。

「今日は会社の引き継ぎって事で良いの?」

「はい。現社長からはとにかく早々に行けと。こちら主要データです」

 出社の際預かっていたメモリースティックを、胸の谷間部分から引っ張り出してマスターに手渡す。

いえ、これはこうしろとの現社長からの指示だったもので、私自身にも何故こんな非効率的な行為を行うのか理解に苦しみます。現にマスターも5ミリ程メリッと眉頭が沈みましたし。

「……まあ、今日という日に寄越したのは何も知らないじーさんなりの配慮か。無駄に演出好きなじーさんにしては地味だけど、今回ばかりは評価してやってもいっか」

 主要データを雑にポケットに突っ込み、マスターは私達が来る前までいたのであろう中央のソファに座ってホログラムのPCを弄り出した。何か余程の優先事項があるようで、こちらには耳しか向いてない。

「確認なんだが次期社長。今日は誕生日だったりするのかい?だとしたらコレは私からのプレゼントという事にして欲しいものだけども」

「コレと言いながら私を指差さないでしただけませんか」

 私の所有権は一応会社ですし。

「何でそういう結論になる?」

「誕生日の件だとするなら、祖父が微妙に疎遠っぽい孫に合わせて何かを急がせるならそれくらいしか思い付かないという事。プレゼントにしたい件だとするなら、そうすればもう一つおじーさんに別でプレゼントをねだれるという事だよ。今進めているそのプロジェクトに関しての押しの一手、みたいな部分でもね」

 その瞬間、『こいつ一体どこまで知っているのだ……!?』、みたいな顔にマスターがなったりはしません。せいぜい、『おっと勘の良い奴かな』、程度のものでした。

 マスターは別に村上詩織の意見を採用したりはせず、誕生日の件だけは素直に認めて作業を続けます。私もその情報だけは記録しておかねばと思いつつも、そろそろ手持無沙汰感が拭えず、せっかくなのでこの家の把握を試みておく。

 30畳程度のリビング兼キッチンダイニング兼客間兼何かもうあれこれの開放的過ぎるこの空間。余計なインテリアは殆ど無く一見セキュリティが心配されるが、スキャンを賭けてみれば壁全体に複数のトラップが仕込まれています。何ですか、クレイモア地雷って。個人の家に仕掛けて良いレベルの物なんでしょうか。

 それと、この家は上では無く下に広がって作られていたようですね。災害や防犯の意識からすれば確かにその方が効果的です。ここが爆心地にでもならない限りはシェルターにもなり得ると思われますので覚えておきましょう。

 それにしても。何階建てなのでしょうか、この家。

「あまり無駄に探ろうとはするなよ、対探知センサー用の設備もある階層からはある」

 マスターが、作業を終えたのかPCを閉じながら警告なさいます。この時代の人間は勘が良過ぎやしませんか。

「ヒューマノイドだろうが人間だろうが、思考パターンは行動を制限すればある程度絞れる。いかに自分の理想とした状態に周りを導けるかが人の上に立つ者に必要な技能だ」

「立場はともかく、まあそういった事が出来る人間は確かに上には行き易いかもしれないな。単純に無駄な行動が減るし、生産性というものはどの分野にも付いて回る問題っちゃね。育成する手間が無い分ヒューマノイドの方が生産性に優れているというのはもう50年以上前から証明されている事さ」

 私の知能に無い話が次々とご教授されて行きます。えっと、私は何か開発部門でも任される予定でもおありでしたっけ?

「……それも、問題と言えば問題なんだろうけどな」

 マスターがそんな事を呟いて立ち上がり、部屋の隅に備えられているエレベーターを無線で起動させながら私達を手招き。階段がありませんが、停電した時とか移動はどうするんでしょう。きっと自家発電システムがあるのでしょうが。

 8人乗り程度のエレベーターに乗り込むと、マスターが指紋認証付きのボタンを押した上で備え付けのテンキ―にパスコードを打ち込んだ所で、ようやくエレベーターが重々しい音と共に稼働を始めました。家の造りの割に随分と旧式な機械を使っていますね。

「ワイヤー滑車式のエレベーターはリニア式に比べるとメンテも楽だからな。用途が家の中メインなら尚更だ」

「部品の製造も替えが簡単に利くからねぇ。リニア式はまだまだ製造出来る町工場も限られるから、経済にも貢献していて良いんじゃないのかな?」

 そういう問題でしょうか。いえ切実な問題かもしれませんが精々1件の工場しか賄えませんよ1機のエレベーターでは。

「あと、別の都合もある」

 そう言って、マスターは黙って階層板を見つめます。

 そういえば、随分深くまで降りて来ていませんか?居住空間にしては深すぎる気がしますけれど。

「今から行くのはパイプラインだ」

「「は?」」

 さすがに私と村上詩織の声が重なりました。

「寝起きするのは地下1階、2階が貯蔵庫、そこから下が……僕の世界だ」

 何とも要領を得ない説明のまま、チンと到着の音が鳴ってエレベーターが止まりました。警告もあったのでスキャンはしていませんが体感では地下50mと言った所でしょうか。

扉が開くとまだそこは狭い褐色の壁の通路でしたが、そこから更に10m程歩いた新緑の扉を開いた途端、ここがどこなのかを理解しました。

直径15m程度の新円型の巨大通路。経年による影響の強い鉄褐色の壁面に這う大小問わない無数の配管。一歩踏み出す度に足音と吹き抜ける空気の反響が渡るどこからともなく続く直線の道。

ここはかつて水害が起きた際の排水用に設計され、結局利用頻度も少なく廃棄された関東地方の中でも小規模な地下河川調水池トンネルのようです。私達が出て来たのはその側道に位置する場所だったんですね。エレベーターが旧式だったのもこの場所との都合でしたか、リニア式に対応する電圧がここでは取れませんし。

「まるでドラマに出て来る犯罪組織のアジトみたいな風合いだぬん」

「何てことを言いますか」

 確かに人間の創作においてそのような描写が多いとは聞きますが。

「まあ、別に地下組織であることに変わりは無いからその感想は正しいけど」

トンネルの中央へと移動しながら、マスターは再び何やらPCを開き始める。上でしていた時よりも更に多くのディスプレイが中空に浮かび、まるで我々の視界かと錯覚するかのような多重配置にまで広がる。ハッカーなんでしょうか、マスターは。

村上詩織の言う、仕えるべき資質を判断するに足る材料として良いのでしょうかね。

「今から」

 大した声量を出さなくともここでは広がるマスターの声が、血統を感じさせる重みを持って私達に届く。

「僕の生涯を賭ける計画の核心を君達に見せる。そうすれば、特に説明せずとも僕が何なのかが分かるだろう。それを経て判断すると良い、僕という人間の器がこの世に存在して然るべきか否かという事を」

 マスターの背後にこのトンネルを塞がんとするばかりの大きなディスプレイが浮かぶ。と同時に、この場所にあらゆる場所からの通信電波が降り注ぐ感覚がした。

「それは、もし私だけでもヤベエと判断したらこの場で君を消し去っても構わないという事かな?」

「やれるものならやってみるといい」

 軽口に対して重い切り返しですね、マスター。

「そして、一つこの間に考えておいて欲しい事がある」

 マスターの、私達の前に、一つ、また一つと、青い小さなモニターが浮かんで行く。マスターの浮かべた巨大モニターに相対するようにその群衆の目は空間を埋め尽くし、情報の波濤として立ち塞がった。

「人間という種のあるべき姿とは、何なのか」

 その波濤の全てを受け止めんとするかの如く威風堂々とマスターはこの場で、文字通り世界中の人間の前に立ち始めていた。

「……て言うか。私、ただの付き添いの筈だったんだけどな」

「知らなかった頃には戻れませんね」

 嘆息を受け流しつつ見た巨大モニターに映し出されたその言葉を、私は自身に刻み込むように呟く。

「『バベル』……」

 

 

 そこからの時間は、簡易に表せる程浅い中身ではありませんでした。また、記録に残していものでも無かった気がしたのでバックアップメモリ共々デリートしておきました。

「それで。あれを見せて君は私達に——、私に何をして欲しいのかな?」

 リビングに戻ってからの村上詩織のマスターへの態度はあれを経ても変わりませんね。更に言えば、若干口角がこれまでより上がっているように見えますが。

「一応私は会社の人間であるのだし、オメガを巻き込む予定でいるなら技師としては報告せざるを得なくなっちゃうんだけどねぇ?」

 威圧の籠った瞳を向けられてもマスターは表情を崩さずに、一仕事やり終えた後のコーヒーを嗜みながら。

「いずれ僕が社長になるんだから構わないだろう」

「そう来ますか。いやまあそうだろうけど、大人と女には責任ってものがありましてな」

 そこに女を引き合いに出す必要がありますか。何ですか女の責任って、知らないんですけどそんなもの。軽口で変な事言うのやめませんか?

「責任と言うなら、僕が一生面倒見るつもりだけど」

「何だい、この唐突なプロポーズ的台詞は」

「え。そんなつもりは」

「無いだろうね、うん。けど一応気を付けておくといい、立場のある人間の発言は皆都合の良いように取ろうとするものだよ」

 ただの社長が社員に向けた発言でさえこう聞こえるのですしね。

「ただ。ぼくのかんがえたせかいに君達が欲しいのは間違ってはいないけど」

 一ミリも表情を動かさず他人にそう言える人間とは希少なものではないのでしょうか。マスター、凄いですね。

「……。ま、別に私は面白そうだから協力するのにやぶさかでは無いのだけれどね」

「大人の責任はどうしました?」

 あ、つい口に出してしまいました。

「ふむ。ではその大人の責任として、次期社長に私からも一人優秀な人材をご紹介させて頂こうじゃないか」

「「何故!?」」

 あ、マスターとシンクロ率100%。喜ばしいですね、こんな事ですけれど。

「裏切らぬよう人質を差し出してやろうと言っているんじゃないか。案ずるな、表向きはただの細マッチョかぶれだが、割とノリと面倒見が良い事は腐れ縁の私が保証しよう。人体実験にでも何にでも使うと良い」

「案じなくともそんな予定は更々無いけどな」

 どちらにせよこの人酷いですね。こんな人に造られた私、性格に不具合とか起こさないでしょうか。心配です。

「あ。どーせなら、例の要になるプログラムの設計、私にも弄らせてみないか?言っちゃ悪いが、次期社長はガリ勉チックでまだエンタメ性というものの経験値は低かろう?折角やるなら誰もが楽しめるものにした方が物事は長続きしやすくなるものだぞ?」

 この二人初対面ですよね?私もですけれど。

「どうせ次期社長の事だ。私の事も最初から調べてあった上での今日だろう?私の可愛いオメガを使う税金のようなもので構わない、私にプログラムの根幹を弄らせろぉ!」

 テンションが上がってますよ、落ち着いて下さいプログラマー。

「……。……。僕の邪魔をしなければ、その能力を好きに発揮してくれて構わないぞ」

 今結構葛藤がありましたよね、画面からの情報では流石にこういう所は予習出来ませんから。

どんなに数字が優秀であれ。これだから人間という生き物は分かりません。

 しかしそこはマスター。大事なのは核(コア)であるという事を忘れてはいませんね。

「それでオメガ。お前は当然、僕の計画に。僕に従ってくれるよな?」

 マスターの無垢で濁りの無い漆黒の双眸が、私を見ていた。

私の設計には誤差一ミリも狂いはありませんし、今の所何の染みも汚れも私のボディには付いていませんよ、そんなまじまじと見た所で。

「——先代もそうでしたが。私達はマスターの為に存在している前に、己が仕えるべき者と認めた上で契約を交わしているのです。マスターは、ご自身の事を何も疑わずお進み下さい。私はそれに何処までもお付き合い致しましょう」

 少し前の、村上詩織の言葉が消し飛んでしまっている訳ではありません。そこはきちんと片隅にありますよ。嘘つきませんよ。

 私の胸の中の駆動音が落ち着いた事を確認すると、マスターの中ではもうこの話題に関しての着地が済んだのか、微かに満足そうに自分でコーヒーを注ぎ直しに向かいました。その後何分経っても私達を放置したままであったので、許可を取った上でお暇させて頂く運びとなった訳であります。なお、特に見送りもトラップもありませんでした。

「ともかくと、なかなかにぶっ飛んだ孫ちゃんのお眼鏡にも無事叶ったようで良かったな、オメガたん」

「その呼び方は良くありませんが、良かったです」

来た時に襲われた玄関扉を閉めて空を見上げてみれば、一面朱色。塀の中なのでまだ判断は完全には致しませんが、どう見ても夕暮れです。会社を出てから体内時計でも7時間程度は経過していますから、景色に頼らずとも時間帯は把握出来るのですが。

「で。私とオメガでは親子に見えたりはしないだろうか?」

「は?」

 唐突に何を言い出すのですかこの人は。

「私はまだ20歳そこそこなのだが、キミは半永久的にそのリクルートな外見だろう?今は私が美人のお嬢さんだから良いが、次期社長の計画が形になる頃……まあ10年位先か。その頃には私もヘソ出しに勇気の要るくびれ美人のお姉さんだ」

 自称くびれ美人なのに出すのは躊躇するんですか。あと私は寸胴体型なのでどこも出てませんね。これはあなたのせいでしたか。

「甚だ不快なんで、見知らぬ人が私らを見た時うっかり私に『素敵なお嬢さんですね~』などと言って来る輩がいないようしたいのだが、どうしたらいいと思う?」

 んな事に私のOSの機能を割かせないでいただけませんか。

 幾ら時代が進んだとはいえ、人間の寿命と老化の関係性がそれ程変わったとは思えませんが。それに外見がそこまで重要な事なのでしょうか、と言うのは簡単ですが、これも人間特有の何かなのでしょう。

 と言うより。あなた私の生みの親なのですからそう言われても何も間違いが無いのではないでしょうか。

「……。でしたら、ずっと姉妹と言い張ったら良いのではないですか」

「成程。姉なら私が年上になっても問題無い訳だしね」

 いえそうではなく、自己暗示と言いますかプラシーボ効果を利用した細胞保持作用狙いだったのですけれどもういいや。

「現実的な解決策を提示するならば、研究者と言えど適度な運動を心掛けるべきかと」

「いきなり地味な事を言い出したね。だが折角のご提言だ、早速今から実行に移すとしようではないか」

 塀の門を出た所で、西日の差す光景と共にその現実を知る。

「……ここから駅まで、舗装された道を歩いたら何キロだい?」

「15km、という所でしょうかね」

 邸宅からの機密保持用の妨害電波か何かの影響で強制退場させられた社用車と運転手ヒューマノイドに置いて行かれた私達が会社に戻ることが出来たのは、理科系縛りしりとりのネタが尽きかけていた、日の出が小さなマンションの上から見える頃でした。

 

 そして。再び私達がこの家のあの場所を訪れたのは、あの日から10年後の今日までは無かったのです。

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