『棄てられし者の幻想庭園』序章

少女  「はぁ……、はぁ……、…………」

 息も絶え絶えに、彼女はおぼつかない足元を、徐に上げた視界に映る鉄に縁取られた暗い穴へと進める。

 きっと今この時、自分の身よりも隠さねばならない物を懐に抱え込んだまま。

 初夏とは言えど、陽の光がまだ世界に満ち足りないこの時間。そしてじっとりとした空気を更に溢れさせる霧のような雨の中では、薄いブラウスにキュロット姿のこの身がもつまいと、切れかけの脳からではなく全身の細胞そのものが電機信号として命じたに違いないと、後に彼女は思う。

 きっかけはともかく、ここに至る過程だけはすっぽり抜け落ちているのだから、どれだけ死ぬ気で動いていたのかが分かろうというものだ。

 ともあれ彼女はこの時、自分ではどことも知れない混み込みとした都市の路地裏で、まるで待ち構えているかのように開いていた地下への階段を無意識に降りていたのだった。

 十数の段を下り切り、疲れから壁に沿わせた左手の感覚に従うまま仄暗い灰一色の地下通路を微速に進む。そうする内に外の光も、纏わり付くように響いていた柔らかな雨音も、自分が鳴らす硬い足音すらも遠ざかり、誰も何も周囲に存在しないような心地になって初めて、彼女は足を止めた。

 無明の闇の中で体は休まろうとするも、心臓は感情に沿って徐々に脈を速めて行く。その鼓動は彼女に、ずっと懐に隠し持っていたそれを喉元へと向けさせていた。

少女  「…………、ッ!!!」

 思考と感情の嵐に揉まれながらも迷い無くその小さな両手で逆手に押し込んだのは、一振りの短剣。貫けば彼女の喉を貫通して余りある銀製の刃にどこか品の良い造りをした黒い柄の。

 だがそれは、持ち主の意に反してか従ってか、喉の皮膚に届かずぴたりと寸前で制止させられていた。彼女が幾度息を殺して押し込もうとも、その刃が体内へ進むことは叶わない。

 まるで彼女の遺伝子そのものが、彼女が傷付くことを拒絶するように。

 やがて内へ溜め込んだベクトルが完全反射され、彼女の腕は喉から弾かれるように遠ざかる。その慣性に抗えないまま、彼女はつんのめって膝から崩れ落ちた。

少女  「…………、どうして。何で、私は……」

 四つん這いに俯き消え入りそうに呟くと、自然と涙腺が決壊する。駆り立てていた感情が零れ出す。分かっていた現実に押し潰されそうになる。

 そうして全身すら溶けてしまいそうになって倒れ込みかけた体を、反射的に支えを求めて虚無の横へと手を伸ばす。

少女  「……、え?」

 コツン、と違和感。思考が動く前に目線がその手元へ向く。

少女  「……扉?」 

 脳と視界が色を取り戻し、その眼に薄黒い世界を映す。

 彼女の眼前には、無機質な灰色の壁に埋め込まれるように存在する木製の扉が鎮座していた。それも明らかに百年以上も経っていそうな古びた材質の、ファンタジー世界にでも出て来そうな。

 改めて辺りを見回しぼんやりと記憶を辿って照合してみても、それでもこんなものは今の今までこのコンクリ地下通路には無かった。異物無く続く閉鎖した道に見えたからこそ彼女自身、ここを無明の闇と感じていた面もあった筈なのである。

 混乱しながらもゆっくりその扉を見上げれば、そこには鈍色の小さな丸ノブが。

 それを見た瞬間彼女の中に何かが生まれたのか、それとも何も無くなったからなのか。気付けば彼女はそれに手を伸ばし、立ち上がっていた。

 さっきまでの世界の残滓として右手に貼り付くように短剣を握りながら、残った手でドアノブに手を掛ける。ほんの僅かな逡巡の時間を置きながらも、彼女は為すべき事かのようにその妖しさ全開の扉をそっと押し開けた。

 

 ギィィ、と見た目通りの古めかしい音を立てて開いた扉を抜けると、暗くてよくは見えないものの広い空間に出たように空気で彼女も感じた。

 ドアノブからゆっくりと手を放し、探るように一歩ずつ中へと歩を進める。先程までの地下通路とは異なる硬質の感触を足裏で感じつつ暗闇に目を凝らしていると、突如目の前の空間がぼわっと青白く照らされ彼女を怯ませた。

??? 「ようこそ、定められた時に導かれし迷える子羊よ。あなたのご依頼を伺いましょう」

 明かりの中から、優しくもどこか儀礼めいた女性の声。

 見ればそこには、青い灯のランタンを提げた人間が一人。逆光でシルエットしか見えないが、どうやら小柄な女性らしい。

少女  「……あ、あの」

 まだ上手く状況把握機能が回復していない彼女が掠れ掠れに投げかけると、その女性は少し微笑みを返して彼女の方へ歩み寄って来る。

女性  「……6の日6の時6の刻、異常が異常の願いを叶える扉が浮かぶ」

 こちらに近付く事で見えて来たちょっとよく分からない事を口走り始めたその女性は、クリーム色のセミロングな髪をツーサイドアップに纏め、不自然なまでに自然な笑顔を浮かべた、これまたファンタジー世界に出て来そうなメイド姿の女の子だった。そしてよくよく見ると、ランタンの中の青白い灯りはLED電球に細工をしたものだったらしい。

 そんな意図の分からない出で立ちのメイドさんは、更に彼女に言葉を続ける。

メイド 「私達は、その扉を開けた依頼者の願いを何でも聞き届ける存在です」

 メイドさんが指し示したのは、今し方彼女がくぐったあの扉。しかし開けっ放しにしていた筈の扉はいつの間にか音も無く固く閉じられていた。

メイド 「さあ、ご依頼を」

 思考を反らさせまいとするかの如く、慣れた口調でメイドさんは彼女に畳み掛ける。

 おかげで彼女も言葉の更新がどんどん上書きになった結果、最後の部分だけをまとめて反芻してしまう。

少女  「……願いの、依頼」

 その部分を聞き取りメイドさんも僅かに満足気な笑顔になるが、彼女にそれは見えていない。

 彼女にとって今は、この非現実的な現実のようなものの濁流をどうにか手の届く範囲で乗り切る事で精いっぱいだったのだから。

 そうして、齢19歳の狭量で急速圧迫されきった脳が十数秒の時間を掛けてどうにか絞り出させた回答は、それでも少しだけ強かった。

 

少女  「…………。私、死にたいんです。生きたくない……、生きてたらいけないんです!」

  

 彼女の願いは、それまで余裕の笑顔を崩さなかった相対するメイドさんの態度に、僅かながら怪訝な色を差し込ませた。

メイド 「……それが依頼、ですか?」

少女  「……はい」

 彼女のどうにも深刻な空気に、「おおっとぉどうしようかねぇこりゃあ」といった風に笑顔ではあるが分かり易く頬を掻いて当惑した様子のメイドさんが黙ってしまったせいで、この空間の空気が奇妙に淀みを見せる。かと言って彼女の方も促されて願いを言ってみたは良いが、そこから何が出来る訳でも当然ある筈が無く。

 互いに永遠にも感じたに違いない時間にして数秒の間がいよいよどちらかを発狂させかねなかった時、そこにまるでマイクを通しているかのような大音量で男性の威勢の良い声が突如、襲来した。

??? 「よかろう!その依頼、この私が承った! 」

 刹那、空間全体が一気に光に塗り潰されんばかりに明転し、これまた大音量で小気味良いテンポの円舞曲が奏でられ始めた。反響に反響を重ね、一瞬にしてこの空間の支配権をそれらが奪い去る。

 辛うじて彼女が明暗ギャップによる失明から逃れて捕らえられた視界に映ったのは、実は10m四方くらいあったこの高さ4m程の石造りの部屋で、存分な照明機材と音響機材によってまるでミュージカルの如く彩られながら、空間の中央に位置する円卓の上を彼女と反対側から曲に乗り無駄に華麗に舞いつつ接近して来る一人の人間の姿だった。

 なお、メイドさんは良い感じにその導線上からいなくなっている。

 見えたとしたってさすがに突然の展開過ぎて思考も肉体も硬直してしまった彼女はその何者かに何一つ対処行動を取ることも出来ず、いよいよ円卓を乗り越えて自身の眼前までその接近を許してしまった。そして為されるがまま、

??? 「ばぁん!……よし、これでキミは今死にました」 

少女  「…………は?」

 額に指で銃を撃つ真似をされる。

??? 「じゃ、ここからはキミは私のものだ。精々頑張りたまえよ、可愛い子ちゃん」

 その銀髪でスーツベスト姿の男は、言って間近な円卓の席に腰掛けて彼女に相対する。だがその際も何故だか妙に華々しく、そしてちゃっかりさっきのメイドさんがその横に立って。

 ともあれ、彼女としてはさすがにそろそろ何が何だかな感じである。

少女  「……な、何なんですか。意味が分かりません、バカにしてるんですか!?」

 その訴えに、男はさも当然のように飄々と返す。

??? 「キミは自分の命を捨てに来たんだろう?だから捨てたそれを今私が拾っただけの事。文句なんか無いだろう?キミは今死んだのだから」

少女  「死んだって…、私はまだこうして!」

??? 「今までのキミはさっきの依頼で私が殺した。今からキミは今までのキミではない、新しいキミとして拾われた私にその体を捧げることになる」

 酷く簡単な事のように軽口で男は言うが、何を言っているのかそしてどんな理屈なのか、彼女の理解は及ばない。

??? 「そう、捨てられたものを拾った人間が自分の為に使うのは至極当然の権利だ!そしてキミは……自分そのものを捨てた」

 戯曲的に、しかし最後に確実に何かを孕んだ物言いで男は彼女に語る。

 その空気に、そして僅かに理解しつつあるその内容に、彼女は微かに後退り口籠る。

少女  「そんな、勝手な   

 だが瞬間、少女の胸座を男が掴み、視線が零距離で絡み合う。 

??? 「自分から死ぬような奴が、生者にケチ付けられると思うなよ……!」

少女  「ッ   !」

 男の纏う、眼に宿る、耳を刺す言葉の、静かだが明確過ぎる得体の知れない重圧を持った空気は、それだけで彼女の全てを凍り付かせた。全身を弛緩させ、反抗する気力をも奪い去り、するりとその場にへたり込まされる。

 男は彼女のその反応に満足したのかニッコリと笑って再び一瞬にして初めの飄々とした戯曲感溢れる空気に舞い戻り、物理的に上から目線で彼女へ告げる。 

??? 「安心したまえ。ここにいればこれまでの人生なんて気にする必要ナッシング!隠滅、もみ消し、改竄、何でも有りで、メンバー一丸となって、キミのこれからを守ると約束しよう!」

 どこか不穏なワードがある気がしないでも無かったが、彼女の頭は今そこまで回らない。

少女  「私の……これから」

 そんな彼女の呟きには気を払わず男はひょいと円卓に昇り、メイドさんと二人して大振りな歓迎のポーズを決め、彼女に向けて盛大に言い放つ。

??? 「ようこそ、ギルド『幻想庭園(ファンタズマゴリア)』へ!!一緒に楽しくやって行こうじゃないかっ☆」

 ドンドンパフパフ~、パンパーン!と。謎のフィナーレっぽいファンファーレやクラッカーが部屋中に鳴り響くと同時に、彼女に四方八方からスポットライトが浴びせられる。これでもかと言う程の紙吹雪までもが降り注ぐ中、しかし彼女の口にした事はと言えば、

少女  「ギル……ド」

 という、至極簡素な事実抜粋のみであった。だがそれは決して彼女が感性に乏しい訳でも遂に思考放棄してしまった訳でも無い。

 単純に、彼女の意識がそこで途切れてしまっただけなのだった。

 そんな受け身も取らず糸の切れた人形の如く倒れた彼女の反応を前に、当然彼女は知る由も無かったが、そこではその後こんなやり取りが繰り広げられていた。

 

??? 「おや……。き、気絶する程我が歓迎セレモニーがその胸を射抜いてしまったと言う訳か。今回は力を入れてみたからなぁ~。ねっ、イノリ君?」

イノリ 「さあぁ?」

??? 「ちょ……。お、おーい!誰かぁー、来てくんない、かなぁーっ!?」

 イノリ 「マスター。かっちょわるーい」

??? 「黙らっしゃいっ。ほら早くミコト呼んで」

イノリ 「はーい、かしこまり~」

??? 「……と。その可憐な花に不似合いな牙も、忘れないように。ってね」

 都市伝説。それは世界の片隅で正誤入り混じり見え隠れする、存在すら不確かな事柄。

 そんな曖昧な世界の更に末端で、日本という国を舞台にした一つの話が埋もれていた。

 曰く、『とある場所にとある時間に辿り着くと、何でも願いを叶えてくれる存在に出会えるらしい』。

 曖昧に適当と大雑把を足したようなそれは、他の大御所に隠れ日の目を見る事はそう無かったものの、確かにそこに存在しているのだった。

 

 これは、とある生きるべき者達の日常を舞台にした、世界の影に都市伝説の如く埋もれるべき物語……。

 の、異常で異能な出来事を綴った詩篇の、ひとかけら。

 

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