イノリ 「アカネちゃん、接客業は初めて?」
メグミが齎したフェニックス暴走による火災未遂事件を(主にアカネが体を張って)鎮め、何やかやでもうじきお昼時となった頃。アカネはイノリに連れられて、ギルドの建物の表通り側に居を構えるカフェスペースにて開店準備をさせられていた。
店内は12畳程のウッドフロアに丸テーブル4台とシンプルかつ狭めな造りだが、イノリの趣向なのかテーブルクロスや壁紙、調度品は白とシルバーを基調としたややゴシック寄り。テーブル中央に据えた手の平サイズの鉢植えやフロアの四隅にひっそりと主張する観葉植物など、西洋の自然派カフェか何かを目指したっぽい。勿論ドアベルも欠かさない。
またギルド側からカフェ側へは先日見掛けた廊下にある厚手の扉を通ればいいだけなのだが、世界が区切られているような感覚になる仕掛けを微妙にしてあるため普段は全く警戒していないとの事。ちなみにフェニックス騒動が起きたキッチンとカフェのキッチンは同じなので、もし客がいたら騒ぎになっていたかもしれない。
アカネ 「バイトもした事無いです。母子家庭なので本当はするべきだったんですけど、お母さんがしなくていいって。だからドキドキで……」
成人するまで勤労未経験と言うのは現代ではそこそこ珍しい部類かも知れない。そこから家庭環境が疑われるのはどれくらいの割合なんだろうかとテーブルクロスを敷きながらアカネは思う。
イノリ 「ウチはカフェと言っても隠れた名店的な物だから、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?お客さんも1日に片手をへし折るくらいしか来ないし」
アカネ 「それは色々危機的状態なのでは?」
経営的にも、腕的にも。そして誰の腕をへし折るのか。
イノリ 「お仕事も基本お客さんと楽しくお喋りするだけだよ。カンタンカンタン☆」
アカネ 「それはもう違うお店なのでは?」
フロアが女子だけならそれはもう。
イノリ 「あ、残念。アルコールは出ないゾ?」
アカネ 「まだギリ未成年です!」
その返しはどうなんだろうと、アカネ自身も言ってから思った。あとどうもイノリのボケと言うかトーク術は微妙にエグいとも。笑ってトークを切り上げているが、『癒しの面』と相まってイノリが普段どう思って行動を起こしているのかが凄く読みにくいとアカネも感じていた。
それから雑多なトークを繰り広げつつ一通りセッティングを終え、後は開店時間を待つだけとなった時。不意に、しかしやや優し気に表のドアが内に開き、ドアベルが慎ましくチリリンと鳴った。
アカネ 「あっ、いらっしゃ あ」
反射的に口をつきつつドアへ振り返った先で、アカネは見た。
背中から腰までの長く白い翼を生やし、その翼に負けない清楚で純白のドレスを身に纏った長い黒髪の聖女が陽の光を背に。
有名なチェック柄の紙袋を提げているのを。
イノリ 「トーコさん!もう大丈夫なんですか?」
アカネはポカンとしてしまったのに、奥にいたイノリはやはり笑顔でパタパタと寄って来る。
トーコ 「はい。朝を迎える前に紋章の城から安らぎの園への帰還を果たせましたので」
イノリ 「そうですかそうですか」
そのトーコさんという女性は、イノリに対して親し気によく分からない事をのんびりと言った。ただ何となく昨晩何かあったっぽい事は覗える。
と言うよりも、
アカネ 「……あの。昨日の人、ですよね?」
その服装だったり口調だったり。よくよく思い返して見てみれば天命教で被害に遭っていてギルドが助け出したあの女性そのままであった。羽が生えている以外は。
イノリ 「アカネちゃんは知らないよね?実は数少ないウチのカフェ常連のトーコさん!……あと、本当に一般人だから」
横に来て紹介して来るイノリだが、最後に耳元でぼそりと付け加えるところからしても本当に客と店員の関係を貫いているらしかった。ついでに垣間見えるこのカフェの繁盛具合。
ちなみに、何の自主的説明の無いそのトーコさんの背中から生える白の双翼については、
イノリ 「目を凝らすと肩紐が見えます」
とだけ。
扉をきっちりと閉めたトーコさんは、エレガントに見える歩調でアカネの前まで来ると、ドレスの裾を軽く摘まんで挨拶を試みる。
トーコ 「初めまして、人間界ではトーコと名乗っております」
アカネ 「……え」
トーコ 「はい?」
お互い、次元が噛み合わない事が分かる間と空気が流れた。
やれやれとばかりに、イノリが二人に等しく見えるところで解説を始める。
イノリ 「トーコさんは所謂天使系厨二病の人でね~。仕事もしないでここでよく主人公系と魔王系のお仲間二人に、仕事中のフタバ君も加わって駄弁ってるよ?」
天使系厨二病というものが何なのか今一つアカネはピンと来なかったし主人公系と魔王系と言うのも何なのか説明して欲しい所ではあるが、取り敢えず天使系とはその作り物な見た目と合わせて要はこんな感じらしい。
トーコ 「逢瀬来世に至るまで現世に無駄な事などありません。瞳の瞬き、鼓動の旋律、それだけで私は世界と言う絵画を彩る絵筆となり、その事が私という機工を動かす魔力となるのですよ?」
イノリ 「……凄いよね、食っちゃ寝の開き直りをここまで長く言えるのってマスターくらいかと思ってたよ」
この優しい声の80文字の言葉の意味を食っちゃ寝だと分かっちゃうイノリもある意味凄いと思える。これもシルバの日頃の言動の賜物だったりするのだろうか。
トーコ 「ただ、今回は下界の方々に私の未熟さ故に多大な負担をお掛けしましたので。特にイノリさんには。ですのでミサよりも早く謝辞を伝えに参りました。あ、これ、決してつまらなくない物です」
そう言ってイノリに頭を提げつつ、例の有名紙袋を渡すトーコさん。中を見てキャッキャしてる所を見るに確かにつまらなくはなさそうだ。あの百貨店にはつまらないものも実際無さそうだし。
だが。こうして自分達の前に現れたトーコさんは悟りを開いたかの如く実に穏やかな顔をしている。確かに元々イノリとは顔見知りではあるのだろうけれど、天使系厨二病というものがそこまで精神的にあの出来事を乗り越えられる要素であるとは、アカネにはどうしても思えなかった。
故に、この和やかな雰囲気の中で、アカネは重々しく問いかける。
アカネ 「……あの」
トーコ 「はい?」
アカネ 「何で、そんなに明るくいられるんですか」
その切り出し方でトーコさんにも昨日のアカネが多少なりと伝わったろう、それまでの明るさが少しだけ身を引いた。
アカネ「誘拐されたんですよね?殺されたんですよね!?トーコさんが、そんな生き方しているせいで」
人の趣味や生活をそんな呼ばわりもどうかと思われるかもしれないが、昂りはどうしようもない。それにアカネがこういった類の人をどう捉えているかも口にせずとも伝わった。
トーコ 「……はい」
アカネ 「自分が嫌にならないんですか。必要無いって感じないんですか。そのまま死んでいたかったって思わないんですか!?」
イノリ 「ちょ……アカネちゃん!」
万年笑顔メイドすら慌てさせるアカネの言い方。しかし、
トーコ 「はい、そんな事にはなりませんでした」
二人 「……」
当の本人は、何一つ揺るがず正面から微笑みを返した。
トーコ 「確かに、私のこの在り様のせいで利用され、騙され、殺されはしました。でも子供の頃からずっと憧れていた非日常の世界に触れることが出来た、それは私がこの私であったからなのです。信じられないでしょうけれど、実は嬉しかったりもするのですよ」
アカネ 「殺された事がですか?」
トーコ 「殺されたのはそりゃ嫌ですよ?そうじゃなくて、選ばれた事がです」
西洋風カフェに佇む、柳のような存在。しかしそれが何故か馴染む。
トーコ 「私は何度も何度も何度も何度も、自分は本当に世界に存在しているのかと疑って来ました。何の役にも立たず、誰にも見向きもされない私は本当はこの世にいない、むしろもういなくて精神だけの存在なのではと、自分で自分の価値を捨てていた。けれど、形はどうあれ私は誰かの目についた、存在した、捨てた価値を拾い上げてくれる人がいた。たとえそれが矮小な価値であっても、私にとってはこの自分が許される十分すぎる未来への希望で。そう思えば、今回の事は差し引きややプラスくらいです」
イノリ 「いいの?それって、言い換えれば誰かの餌になる事も認めちゃってるけど」
その典型が、昨日だったのではなかろうか。
トーコ 「空っぽよりは全然。それに餌か毒か薬か、決めるのは人として奇跡的に生きる事が出来ている私の権利です。心の向き一つで自分と未来は変えられるのですから」
アカネ 「また、心ですか……」
長く喋る人は必ずそれを口にする、頭と必ずしも連結しないそこの所。
トーコ 「まあ今回の事はざっくりまとめてしまえば、いいきっかけでした、いい経験でした、という事ですね」
イノリ 「軽っ!」
ギルドの人間がそうまで言うのは、イノリの態度からして本当に珍しそうだ。
トーコ 「それでいいの、人の世は複雑すぎます。きっと私はこれからこの体験をただの教訓めいた話として面白おかしく話して行くんでしょうね。それでも、こうして生きてこそそう感じて出来る事な訳ですから、皆さんに助けていただいた事はとても感謝しているのですよ?それこそ、死んでいたかったとはこの嬉しさと楽しさを知ったからには翼の毛先程も思いませんね」
アカネ 「……強すぎじゃないですか。もっと恐怖とか、トラウマとか生まれるものでしょ?それとも、私達が助けた人は皆こうなるんですか?」
イノリ 「何その強制前向かせスキル。逆に怖いって」
あるとしたらそのスキル名は『夢現(トリッパー)』とかの名前が付きそうだとイノリは脳内でボケてみる。
トーコ 「私は天使なので特殊なのかもしれません、もしくはショッキング過ぎて感覚がぶっ飛んでしまったか。それを除けば……そーですね、こんな私にもお仲間がいた事に気付けたからでしょうか。引きこもりでも精神体でも誰かと繋がっていると。今回はそれで助かりましたし、この体験を喋りたいなーというワクワクが怖さに勝ってしまいました」
イノリ 「私から見たら、トーコさん結構愛されキャラでしたよ?……脇が甘そうで」
トーコ 「まあ。また新しい価値を見付けてしまいましたね」
付け足しが聞こえたのかどうなのか。聞こえていたならトーコさんマジ天使。
トーコ 「アカネさん、あなたの周りにもきっと、あなたの知らないあなたの価値を見付けてくれる方がいます。そうすれば、今抱えていそうなその不安を煽る未来を覆う霞も、晴れてくれる筈ですよ」
イノリ 「人の価値は他人が決める、これマスターが私達に言う事なんだよ。自分の事は自分が一番分からない、自分で自分の、人の価値を決めつけてはいけない。それはその人の未来の選択肢を、可能性を消す行為だ。ってね」
巷に溢れている標語を完全否定するような教えだが、それはやはり人の世の闇を抜けて来た存在だからこそ。
アカネ 「…………。ありがとうございます、何かすいませんバカみたいに」
未来の可能性が光り輝いている若者には、それは強く響く事だろう。
アカネ 「けどもう一つだけ、聞いてもいいですか」
トーコ 「何でしょう?」
だがしかし。
アカネ 「……想像出来る未来がどうしようもない理不尽な暗闇しか待っていなくても、あなたは同じ事が言えますか」
二人 「…………」
その身に何を秘めているのか、一目で分かる奴などそういない。
ましてやパッと見ただの小娘が、光を塗り潰すような深い眼でそんな事を口走るなど。
アカネ 「私にはそんな無責任な事は、どう足掻いたって言えない」
アカネの中で、遺伝子から生まれた自身を苛む堪え切れない圧が渦を巻いて。
結果、言い捨てる形で外へと駆けだしてしまった。
イノリ 「……、お仕事放棄は良くないなぁ」
イノリの中では意外でも無かったのかどうなのか。開け放たれた扉を呑気に見つめて口を出たのがそれ。
トーコ 「私には、彼女のバイブルに一筆加える権利は無いようですね」
イノリほどではないが穏やかな表情でい続けたトーコさんにも、僅かに眉を顰める時が来た。
しかしこんな時でも、或いはこんな時だからこそ。イノリのスキルはその身に凛麗を纏わせ、沈んだ空気に日溜まりのような色を添える。
イノリ 「お気になさらず。ここから先は、私達の仕事ですっ」
ニッコリと、しかしピシッと。右手を軽く胸に添えこの場の責を引き受けるイノリ。トーコさんもそれに感応して、歪めた目元を綺麗なアーチに戻すことが出来たようだ。
トーコ 「では微力ながら、そのお仕事に私の翼をお貸ししましょう。また後程」
何であれ、やはり大人なので。
トーコさんはドアの前でイノリに軽く会釈をすると、自らもアカネを探しに出て行ってくれた。流石、女神の器候補だった人である。
イノリはそれを見送り、実は表に掛けていた営業案内をCLOSEDにして扉を締め切った。それからふとフロアを見れば、トーコさんの白い羽がぽつり。
イノリ 「……アカネちゃん、かぁ。なーる、あんなんじゃどーせいつか、私たちの世話になってたか」
摘み上げた羽を裏返せば、背面は鴉の濡れ羽のような黒。表裏一体、天使と堕天の作り羽。
どこで誰がこんな手の込んだ物を作ってトーコさんの手に渡ったのかは知らないし興味も無かったが、何となく今の気分的に気に入らなくてそれをグシャリと握り潰してポケットへ。そうしてサッと髪を掻き上げて、フロアの奥へと歩き出す。
イノリ 「専門家、舐めんじゃねーですよ。ってね」
フロアの電気を全て消し、イノリは自分の持ち場へと向けて上司にショートメールを打ちつつ廊下の扉を通り抜けて行った。
貰ったあの紙袋に関しては、誰にも言わないでおくつもりで。
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