ガションッ!と、イシキの高らかな宣告と共に舞台の下から重々しい機械音と振動がする。それが確実にこの舞台下に仕込まれている昇降装置であることはアカネ達全員理解出来たため、その場所であろうセンター位置から脇へと引き下がった。
そして予想通り、舞台中央の床が開いて奈落から駆動音がし始める。公共の施設の筈なのに随分と手の込んだ造りを最近はするものだなぁなどとアカネはひっそり思ったのだが、これだけ大きなホールだと演劇や歌謡ショーにでも使う機会もあるだろうとこの場は納得しておくとして。
舞台の昇降装置は安全の為それ程スピーディーには上がって来ない。なら早く逃げるなりなんなりした方が良いのではないかとアカネはシルバの顔を伺ったのだが、何かシルバは緊張と期待の入り混じったギラギラした目でゴクリと唾を飲みそのせり上がって来る場所を見つめていた。横にいるシグレもそんな感じ。
何だろう、打ち合わせでもしているかのような、まるでドラマや小説のお約束をやっているから邪魔しちゃいかんと言ったこの感じは。さっぱりアカネの理解の外でもう何が何だか。
そうしてアカネが心中慌しくしている内に徐々に舞台下から人の姿がフレームインして来る。と、
イノリ 「遅くなりました~」
そこから結構見覚えのある頭が可愛らしく声を発した。
そしてそのヘッドドレスを携えた頭の持ち主が完全に床と共に舞台上に登場すると、一人の見知らぬ黒髪で薄い純白ドレス姿の女性を悠々とお姫様抱っこしていたのである。
イシキ 「なっ……にぃ!?」
アカネ 「あ、メイドの土産だ……!」
何か上手い事言えてしまった。やったぁ。
先程までハイテンションで悪役顔していたイシキも、驚愕の顔で硬直している。いや勿論アカネの冗談に感動した訳でも、このミュージカルよろしい登場に魅了されたわけでも無くて。
と言うより、この人が例の女神の器に選ばれたとかの人だよなぁと遅まきながらアカネは考えたが、そこは屈んだ状態で一緒に上がってきたミコトが即座に補足に入る。
ミコト 「ああ、同じ問いを繰り返さないように先に言っておきますと、館内の湧いて来た警備と例の棺の周りでうんにゃらほんにゃらやっていた方々は私とイノリでこらっ!としておきました」
イノリ 「今回も、勉強させていただきました~」
ちょこんっと軽い拳骨みたいな振りをミコトはしたが、どうもそんなんじゃない気がする。
そしてイノリは突入してからどこで何をしていたんだろうか。
ミコト 「しかし、何故悪の組織の皆様は誰も彼も大事な部屋の目の前に仰々しく警備を敷くのでしょうね。そこが重要な場所だと教えているも同然ですのに」
シルバ 「よっ、流石は紅の戦乙女!」
ミコト 「その名はもう棄てましたから」
アカネ 「何それ凄い気になる」
また謎の盛り上がりが始まりかねない空気になった時、硬直していたイシキが動き出した。
イシキ 「きっ、貴様ら……何をしたのか分かっているのか!我々の長きに渡る研究と資金と人材を費やした偉大な儀式を台無しにしたのだぞ!?貴様らの身勝手なエゴの正義感によって!」
ミコト 「素敵な言葉のブーメランですね。あなたもこの女性の長きに渡る人生を台無しにしたのです、あなたの身勝手なエゴと欲望によって。それにマスターの思考を代弁させていただくならば、我々は正義の使者ではなく闇の組織ですから、その闇のイメージを貶めるあなた方のようなちっぽけな悪の組織が許せないのですよ」
シルバ 「ミコト、勝手に人の脳内を解説しないでくれ。恥ずかちいだろう?」
ミコト 「これは失礼を。あとこれ、現場写真です」
ミコトがスーツの内ポケットから取り出したデジカメをシルバはポチポチしながら、
シルバ 「ふむ。とは言え、これ以上ここでお互いの持論で水掛け論をした所でただ見ているだけの人は退屈だろうから、もう事実でキミを攻略していこうと思う。シグレ」
イノリがこちら側に寝かせていたあの連れて来た女性の頭に、シグレはそっと触れて目を閉じる。
シグレ 「……コヨミのビジョン通り、死因は首を絞められたことによる窒息死。他に傷を付けられた様子は無いな」
そう断言するシグレ。その様子からアカネもさすがに何となくシグレのしている事が分かったが、初心者であるアカネに配慮してかそれとももう一人の為か、イノリが横で解説してくれる。
イノリ 「シグレ君のスキル、『読心術』。物体に刻まれた記憶を読み取るスキルだよ」
アカネ 「物体の、記憶?」
イノリ 「そう、そのエピソード記憶。私達が来てる服とか、この建物とか。世界に存在するあらゆる物質、それの『目』に当たる部分に映った映像をそのまま辿って見ることが出来るって訳。それこそ、あの壊れてる棺の見た記憶もね」
先程シグレが棺にスキルを使っていたらしい時に言っていた上向いてるとか言い向きだとかいうのはその目に関する話だったのか。
ミコト 「ですがそれは本来、生物である人間の記憶を読み取ることは出来ません。定義である『物体』という枠には人間は含まれませんから。では、使えるようになった時とはどんな時か」
その言葉の意味、そしてこの状況。答えは、明白だ。
アカネ 「……死んでる、時」
ミコト 「理解が速くて何よりです」
目の前にいるのは、土気色になりつつある女性。
人間の死体。
その事実を今まざまざと突き付けられ、そして改めてそれが自分の視界に映り、アカネの心臓がドクンと強く脈を打った。
イノリ 「警察で言う所の、死者を殺しても殺人にはならないっていう死体損壊の定義と同じ。世界の仕組み上死亡判定されたなら、人間は遺体というモノになる。それを逆手にシグレ君は死んだ時の状況を読み解けるの」
そんな話を、倫理にうるさい団体や学者に聞かせたらどうなるかね~?とイノリは乾いた笑いを付け加えた。その意味は、この時のアカネは図りかねたが。
ミコト 「一瞥した限りですが、私のスキルの必要性も感じられませんでした」
シルバ 「だろうな。黒魔術において生贄は生者に近い方が成功率が高い、特にこれは憑依の類だから使い物にならない躰だったら招かれた側からしたら契約違反だし何をするか分からない。そんな事態を避けたくなるのは当然の心理だな。おっと、『読心術』使いがいるのに心理の話なんてこりゃあ馬の耳にセミナーだね」
アカネ 「黒魔術?」
急に得意気に長々語り出したと思ったら思いがけないワードが飛び出して来る。
シルバ 「宗教でも何でもない、天命教の正体は単なる黒魔術マニアの集まりだ。やってる事は都合の良い欲に塗れた連中を利用したただの自己満足、悪魔が女神に鞍替えしただけで、数世紀前の西洋で一部の貴族間の娯楽に行われてたものと大差無いね」
これだけの情報で、どうやったらそんな結論に到達出来たのだろう。と言うより、アカネとしてはシグレの見た物やデジカメに映っていたものを見せて欲しかったのだが。そうしたらもうちょっと話に付いて行けそうなのに何でだろう。
そしてこっちはそんなもの見なくても付いて来れているらしく、
イシキ 「私のアルカディアル・マギクスをそんなカビの生えた遺物と一緒にしないでもらいたい。それにスキルだの何だの、貴様らこそ誇大妄想が過ぎるのではないか?」
何か色々決定的だが、イシキの怒気はシルバ達には暖簾に腕押しの様相。
シルバ 「ああいいよ、そこら辺は別にどうだってさ。私達が教えたい事実はたった一つ。理不尽な死の重みだけだ」
アカネ 「?」
するとシルバは横たわっている女性に歩み寄り、右手の人差し指に付いた鉄の爪を分かり易くアカネとイシキに見せ、それを女性の胸元に当てた。
すうっ……と息を吸い、周囲の空気を静止させる。全ての視線がその爪に注がれたのを感じてシルバは静かに、しかし全力で、行使。
シルバ 「刈り取れ、死の因果。ジャッジメント!」
耳を劈くように鋭利な金属音のようなものを放ちつつ、鉄の爪が女性の胸元から見えない何かを掻き上げた。
アカネも初めて見るその行為が一体何を意味するのか何をもたらすのか全員が固唾を飲んで見守るしか無かったのだが、その全ての余韻がやがて自然と消え去る頃、横たわっていた女性が激しく盛大に息を吹き返して咳き込み出したのだった。
イシキ 「……そ、んな、バカなっ!?」
文字通り目を飛び出させるほど仰天してその現象を目の当たりにするイシキ。
シルバ 「ん~?この程度で何を驚いているんだ、アルカディアル・マギクス使い(笑)?」
アカネ 「(この程度!?)」
確かこの方は先程あなた方が死んでいると定義してくれたのではなかったか。
見た限りシルバがそんなご遺体に対して行った事と言えば、スキルっぽいものの名前を口走った後に鉄の爪を宛がって動かしただけ。
そんなんで死人が生き返ったなんて、どこをどうやって信じたらいいのだろうか。
だが当のご本人は、呼吸が安定したのかぼんやりと辺りを見回し始めていた。
女神器 「……私、は?」
ミコト 「無事にお目覚めのようで何よりですが、取り急ぎ一つお尋ね致します」
女神器 「あ、はぁ。何でしょう?」
この状況で初対面の人からのいきなりな問い掛けにもゆるりと応じるこの女性は、やはり器がデカいのかもしれない。
ミコト 「あなたの拉致・殺害を命じたのは、あるいは実行したのは、あの者ですか?」
キッとイシキを睨むミコト。そのイシキと女性の視線が交差した時何か事情めいた物も飛び交ったように見えた気がアカネにはしたのだが、それはやはり当事者間の問題であろう。多分複雑なのだ、大人は。
そうして少し憂いのある伏し目をしながら、女神の器たる女性は
女神器 「……はい」
シルバ 「イノリ、彼女を外へ」
イノリ 「かしこまり~」
イノリが、目覚めても立てずにはいた器の女性を再び抱え上げて舞台袖から出て行く。それに全く抵抗せず「ふあぁ~~」とか言っているあの女性も、何だか浮世離れしていると言うか。単純に考えて、色々狙われそうな気がアカネは凄くした。
シルバ 「死人に口無しって言うけど、こうやって殺された人間が真実を語ってくれれば世の中もっと平和になる気がするよねぇ、抑止力的な意味でさ。惜しむらくは、それを今の人類では受け止めきれないって言う所か。……今のお前さんみたいにな」
そんな雰囲気に和むことはこちらはせず、蒼白になりつつある顔に脂汗を流し続けて完全に怯み切っているイシキへの追及は続く。
イシキ 「……まやかしだ。い、いや、何かのトリックだ、偽りだっ!でなければ 」
シグレ 「私が殺した筈の人間が生きている訳がない、ってか?」
ミコト 「所詮それが、覚悟の無い人間の限界という事ですよ」
何だろう、覚悟とは。
シルバ 「さてアカネ、よく見ておくといい。ギルド『幻想庭園』の存在意義というものを。我々のスキルの、本来の使い方を」
そう言ってシルバは狩人のような目をしつつ、イシキにゆっくりと迫り鉄の爪をその胸に向ける。信じがたい事に死人を蘇生させたその爪で今度は何をするつもりなのか、知らない二人はただただ子の行く末を馬鹿みたいに見るばかり。見ておけと言われたんだけど。
シルバ 「ジャッジメント・リベレイション」
そう告げて、シルバはその爪を刈り落とす。
イシキ 「かっ……!?あ、ぐっ……ぉぁぁ!」
アカネ 「ッ!?」
胸を掻かれたイシキが突如首を押さえてもがき苦しみ出し、そして狂ったように悶え始めた。
恐怖で青白かった顔はみるみる赤く染まり、開かれた口からは容赦無く唾液が溢れ始め、目も顎も天を向く。だが何かを求めるように天を仰ぐ反応とは裏腹に膝はやがて折れ、肉体は地に伏せり、陸揚げされた魚の如くのたうつばかり。
シルバ 「これが私の固有スキル、『生命判断(ジャッジメント)』。対象の人間を死に至らしめた一連の因果を切り取り保有、そしてそれを再び人間へ移すことが出来る」
アカネ 「因果……?」
シルバ 「そう。そして今回の彼女の場合他に外傷も無く絞殺のみの因果故に……」
そこで、床を打ち付ける音がぴたりと止んだ。
シルバ 「死ぬまでが長く、苦しみの全てを味わうことになる」
見下ろすシルバの視線をアカネが追うと、目から鼻から口から体液を流し、白目を剥いたイシキが歪な体勢のままぐったりと横たわっていた。
シルバの言葉をそのまま受け取るのであるなら。今この男は、自分の目の前で、人を殺した。
状況と話からして、窒息死。
アカネ 「ぅ……」
シルバ 「心配せんでも、キミに間違って掛けたりはしないぞ?それにキミの『精霊の盾』ならこのスキルも無効化出来る」
大層おちゃらけて言ってくれているが、それどころではない。
ミコト 「アカネさん、それが当たり前の反応です」
対してミコトが、至極冷静に声を掛けてくれる。この異常な状況では、それだけで毛布にくるまれたような温かさを感じられるような気がした。
ミコト 「ただ、これで終わりではありませんよ」
アカネ 「……え?」
シグレ 「常軌を逸するのは、ここからだ」
そうして、再び視線がシルバの指先へと向けられる。
シルバ 「刈り取れ、『生命判断』」
横たわるイシキの胸を再び鉄の爪で刈り取る。
イシキ 「っ、ゲフォッ、ゲホッ!」
先の女性同様、弾かれるように息を吹き返し噎せ返る。ただ、急激な酸素の循環に体が付いて行けずにしばらく吸入と嘔吐を起き上がれないまま繰り返していた。
そうして一通り肉体を暴れさせたのを見守ってから、シルバは静かに上から問いかける。
シルバ 「黄泉への入口から、おかえり。……どうだい、キミが彼女にした事の感想は?」
理解を強いている。そう出来る事をシルバは知っている。
だが当のイシキは這い蹲って醜態を晒しながらも、自分に起きた事を理解した筈でありながらも、まだ何も認めようとはしなかった。
イシキ 「……は。私が、何を」
シルバを下から見返す瞳の奥には、微かに野心の色が籠っている。
しかしそんな相手にシルバは正面から、一歩に巨人の如し重みと圧力を込めて距離を詰めて行く。
シルバ 「我々はキミを逃がすことは決して無い。理不尽を生む存在を許さない。その芽を摘むまで枯らすまで、理不尽と言う罪の水を浴びせ続けよう」
そして再び、鉄の爪が命を抉る。
シルバ 「リベレイション」
イシキ 「ぁうぐっ……、ぁっ!」
誰も間に入る事無く、イシキが一人窒息して行く様がまた無音の舞台で繰り広げられて行く。
シルバ 「死んで、殺して、そこで終わりじゃない。その後の世界に歪が残る、どこかの誰かに影を生む。その業を、痛みを知らないからこそ、無関係な人間への殺人の境界線を容易に越えてしまえる。それじゃあ悲しみの輪廻は永遠に終わらない」
苦しむ最中に語られるその訴えは、聞かせている者に届いているのかいないのか。
どちらにしても。再び窒息死したイシキの胸に、指先の鉄鎌が添う。
シルバ 「刈り取れ、『生命判断』」
イシキ 「っ、ごぁはっ!」
二度も殺され顔も服もグシャグシャになったその様は、アカネでなくても目を反らしたくなる程の黒々しさが漂っている。にも拘らず、ミコトもシグレもそこから一瞬たりとも視線を外さないでいる。
ここで行われている全てを、網膜に焼き付けようとしているかのように。
シルバ 「我々の役目はそれを加害者に教える事だ。他ならぬ、自分の犯した理不尽な罪によって。その体に、脳髄に、徹底的に。その心が塵になるまで」
イシキ 「 っ!」
シルバ 「これが本当の、因果応報ってやつさ」
行いには必ず報いがあるという、善にも悪にも働く言葉。
そして、あの女性を殺害したという手段と同じ現象で繰り返し殺される現状。
この事態の原因を正しく知るものが見れば、確かにその通りなのだろうが。
シルバ 「さってと。それじゃあ取り敢えず……、あと50回くらい行っとこうかぁ?」
完全に攻守交替。ニンヤリと嗜虐的な笑みで見下すシルバと唾液に塗れた姿で這い蹲り弱々しく見上げるイシキの状況を傍から見たならばどうなのか。
ともあれ、本当にそこから数十分の間。舞台からは一人の男の内臓から搾り出る呻き声だけが響き続けていた。
そうして耳も麻痺して来たのではないかと思う程の文字にならない声を聴き続け、最早もがく事すらしなくなった死に際を見せられるようになって数度目の蘇生。
イシキ 「……ハァ、…………ハァ」
安穏と生きていたら決して正しく知ることがなかったであろう事を、アカネは今この時知った。
これこそ、拷問というもので。矯正というものなのだ。
シルバ 「どうだ、犯罪者。……後何回死なせて欲しい?」
そう言い放つシルバの瞳は、鉄よりも重く灰色で、悪よりも深く黒い。
イシキ 「…………すみませんでした」
初めに雄弁に振るっていた時はいつだっただろうか。
その時の熱量をもう思い出すことが難しいくらいにか細く、虚ろに。長い沈黙を経てイシキは視界の上隅に相手を捕らえて、遂にそう答えた。見ている側にとっても拷問のようだったこの時間もこれでようやっと終わり、そうアカネは思っていた。
思っていたのに。
シルバはイシキのそれを受けしばし黙す。だが再び爪を構え、開いていた距離を詰めるべく足を踏み出していた。
まだ続く。この誰にとっても苦しいだけのような時間が。そう感じてしまったアカネの身体は、何が命じるまでも無く駆け出し、シルバの歩みを止めるように立ち塞がっていた。
ミコト 「アカネさん、マスターの邪魔を 」
厳しい口調で飛ぶミコトの声を、シルバがそちらを見る事無く手で制していた。
代わりに、圧倒的な存在感を誇るその双眸が、アカネの全身に向く。
何もされていない、ただただ自分の何かを待ってこの男は自分の一歩前にいる。それだけの筈なのに息が詰まる、伸ばした両腕が保てなくなる、脚の支えが利かなくなりそうになる。
この男は、ギルドの長というこの人間は、これ程の存在だったのか。
アカネ 「…………あの。もう……」
そうして、潰されかけたその細い身体からようやく出た言葉は、それだけでしか無かった。
でも、決して目だけは反らさない。
アカネ 「お願い、します……」
シルバ 「…………」
シルバはアカネのその様をしばらくじっと見つめていた。そしてそのアカネの後ろで、信じられない物を見るような目でアカネの背を見上げているイシキの姿も。
そのままじっと、何かを見切って。やがてシルバは大きく息をついて完全にその構えを解いた。そしてこれで終いと言わんばかりの表情とダラダラ具合で、アカネに背を向け舞台袖口から出て行こうと歩き出す。
自分の一瞬の必死を汲み取ってくれた事への安堵と感謝、そして他の二人がシルバのその決断に少なからず当惑している事への謝罪を込めて、アカネは深々と礼をした。アカネ自身、こんな自分がしでかした事の重大さをどこか感じているのか、この下げた頭がなかなか重たくて上げられない。さっきまでは決して目線を外すまいとしていたのに今はここにいる誰かの自分を見る顔を見るのが怖くて仕方が無い、そんな心地。
そうして下がっている脳天の先から足音が遠ざかって行く事を感じていると、その真反対から不揃いな床鳴りが微かに二度聞こえた気がした。そうだ、私はこの人を庇ったのだったとこうなってからアカネは理解する。
けれど、散々傍観するしかなかった自分がこんな風に割って入った所で、この後どんな顔をしてどんな声をこの人に掛けたらいいのだろうか。いっそこのまま振り返る事無く走り去りでもした方が良いのではないか。でもさすがにそれは感じが良くない気がするし……。
若干19歳の平凡な脳がそうして悩んでいた結果ああもういいや言い逃げでも何でもという乱暴で無責任な結論に辿り着き、ギルドの仕事を邪魔したっぽい部分の罰は、何だか理不尽な気もするけど怒られようと決意はして(理不尽と戦う組織という説明をされた気もしたけれど)。でもやっぱり一般人なのだから気の重みがそのまま駆動に出てしまい、油切れの人形みたいにアカネは固々しくその体を起こした。
そう言えばイシキは(自分からしたら)背が高かったなぁとそこで思い出し、多少距離が開いていても話すなら見上げなきゃかとか呑気に思いながらようやく意を決してアカネは自分の背後へと顔を向ける。割って入ってからここまで、果たしてどれだけの時間が経っていた事だろう。
だからなのか。アカネが顔を向けた時には、イシキは自分の足でしっかりと立ち上がっていた。
それどころか、
イシキ 「ハッ、甘ぇんだよぉっ!!」
アカネ 「 ッ!?」
してやったりと凶悪に、そしてなりふり構わず全速力でアカネ目掛けて突っ込んで来ていた。
首だけが先行して向いてしまったせいでアカネは横向きに慣性の利いた体を止められず、イシキに対してどうすることも出来ない。そもそも完全に不意を突かれたから反射するまでも無く、既にアカネを羽交い絞めにしようとイシキの両腕は首元に巻き付く寸前だったのだ。あと年頃の女子としては、醜悪に乱れ切った中年男の顔面が迫って来る時点で精神的にも恐ろしく体が竦んでもいた。
そうアカネがあらゆる拒絶反応で目を瞑りかけ、イシキの全身がアカネを囲おうとした正にその刹那。
ギャキイィィィィィンッッ!!!と二人の間で轟音と衝撃が弾けた。
アカネは微動だにせず、イシキだけが逆ベクトルに砲弾の如く吹き飛んで行く。数度天地が入れ替わってもまだ足らず何の受け身も取れていない状態で床を転がされ、最終的には首を支えに完全に体が天に伸びた状態で終わりを迎え、仰向けにバン!と倒れた。
アカネ 「 」
そうして、暴れ狂う心拍とは対称的に幾度目かの静寂が訪れる中で、アカネはこの数秒を悟る。
そんな気は無かったとはいえ、自分は、完全に恩を仇で返された。
イシキ 「あ……、あぁ……」
あれだけの事があって。地獄巡りとしか言えない時間を経て、憔悴の果てに遂には自ら謝罪の言葉を口にして。それでも続きかけた深層への道を、全身で止めたのに。きっとそれは自分の中のどこかでこの人間の事を信用したからこそだった筈なのに。
にも拘らず。その相手が今自分に対して、異形の怪物と遭遇したかのように恐怖を超えた戦慄の目を容赦無く向け、腰が砕けたまま後退る事に失敗し続けている。
自分が一体何をした、と言うならば。アカネと言う存在を構成する遺伝子より生まれた超常の力。あらゆる外傷を防ぎ切るアカネのスキル、『精霊の盾』。
その存在を、いよいよもって確信した。こんな最悪の形で。
どうしたらいいのだろう。こんな状況になって、こんな心中になって。まず何から泣く事を求められているのだろう。
因果応報と言うのなら、この因果とは何なのか。
シルバ 「……アカネ、人間なんてこんなもんだ」
いつの間にか止まっていた足音の方から、何かを諦めたような声がした。
そうして自分の元まで戻って来てくれていた銀髪の男は、アカネの横で刹那立ち止まってポンと頭に手を置いてくれる。顔を見れば、心から申し訳無さそうに労いの笑みを浮かべてくれた。
シルバ 「実に、実に残念だよねぇ毎度毎度、人の腐った精神を磨り潰すのはさ……」
そしてそれ以上アカネに構う事無く、またしてもシルバは執行者としてイシキに迫る。今度はマスターの意を汲んだミコトも、懐から銀の銃を取り出し傍に控えて。
イシキ 「……っ!ご、めんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ 」
シルバ 「ダーメ、許さない。誰のせいか……分かるよねぇ?」
もう逃げる事すらしなくなったイシキの胸に、シルバは見せつけるようにじっくりゆっくりとその爪を立てる。ぴたりと、その感触を間違えさせないよう服の上からめり込ませて。対象に思いを刻むため言葉を解き放つ。
ねっとりと。二度と耳から離れぬよう。眼前で。
シルバ 「刈、り、取、れ。『生命判 」
??? 「そこまでだ!」
舞台袖の扉を開け放ち、一直線にその声の主は舞台に駆け込んで来た。
見るからに質の良いダークグレーのスーツに身を包み短い黒髪をオールバックにしたその男は、その声で静止したこの状況を一瞥すると、ハーフフレームの眼鏡をクイと上げて確認する。
駆込男 「…………俺はどれを逮捕させればいいんだ?」
それに対し、体は止まったまんまあっけらかんと、
シルバ 「一番悪そうな奴?」
駆込男 「成程」
では、写真でこの状況を舞台正面側から切り取って見てみよう。
左端に怯え切って縮こまった中年の男。その前には銃を構えた女性を脇に従え鉄の爪をギラリとさせて笑う銀髪。中央奥には半ば泣きかけの放心状態で戸惑う少女。右端に真面目な顔をしているが結構な傍観状態で腕組みをして立つホスト。
では、ここから一番悪そうな奴の首根っこを引っ捕まえてみよう。ガシッとな。
シルバ 「うぉーい」
もいっちょ。
ミコト 「え、私も!?」
シグレ 「だよなー」
無関係の人が見たらやはりダントツではなかろうか。
駆込男 「さて、冗談はこの辺にして」
真顔でやり切って手を放し、イシキの方へと歩み寄って行く。
駆込男 「組織的詐欺、指定暴力団との関与及び拉致誘拐委託、そして殺人未遂。お前にはこれらの嫌疑が掛けられているが……、何かここで弁明はあるか?」
イシキ 「…………ありません」
どこかイシキの声に妙な落ち着きが戻っているようだった。
ハヤト 「そうか。なら表に車を待たせてある、付き添ってやるから自力で出頭してくれ。安心していい、この先に待っているのはごく普通の取り調べと、真っ当な量刑だけだ。今のところは、な」
穏やかで強い声に促され(ついでに脇を抱え上げられ)、すぐによろよろと舞台袖へと歩き出すイシキ。その体はこの数分で20歳くらいは老けたのではないかと思うくらいどこもかしこも力が入っていなかったが、それにしては立ち上がりが早かったのはやはり普通の人間であるからか。
故に、牛歩ながらも一心に外を目指そうとしていたイシキが横を通り過ぎようとした瞬間、
シルバ 「忘れるなよ。理不尽という名の罪の重さを。そして、それを知ったキミのこれからの役割を。もしも忘れたら……いつでも教えに行ってあげるからな?」
シルバのダメ押しでまた凍り付いたところを、駆け込み男にバシッと刑事ドラマの如く背中を叩かれて動き出すイシキ。
そしてイシキは舞台袖に入った所で、何故か扉の脇で待機していた本物の刑事っぽい風体の男達に本当に連行されて行った。しかも駆け込み男はその刑事っぽい人達に手で小さく何か合図をして舞台上に残っているし。
ここに来て更によく分からない人物による二次元的展開に、アカネは精神というか脳の処理がもう追いつかない。初めからかもしれないけど。
ミコト 「ハヤト様、公務中のギルド出勤お疲れ様でございます」
とりあえずここで一番真面目そうな人が、やっぱり真面目にその男に声を掛けてくれた。
ハヤトと呼ばれたその男が後ろ手を組みながらミコト達に振り返ると、微かに空気が引き締まる。
ハヤト 「ああ。今回の被害はどれだけになる?」
ミコト 「被害者は1名、外傷の少ない絞殺のみですから高く見積もっても10万程度かと」
ハヤト 「ならいい。ったく、最近派手な事案が多いからギルドの予算がきついんだよ。もっと怪我を減らせるよう全員に徹底してくれ」
ミコト 「善処します」
シルバ 「えーそれ私らに言われてもなぁ~」
もう懐かしい気もするシルバの飄々とした態度が、ハヤトの眉間に深い皺を刻む。
ハヤト 「お前のために言ってるんだろうが! ……後始末。よろしく頼むぞ、お前達」
ヒラヒラ~。ピッ。ペコリと。ギルドの面々が三様に返答をするのを見ると、ハヤトは踵を返してホールから出て行った。
シルバ 「……よーし。じゃあちゃっちゃとやって帰るとするか」
ハヤトが出て行ったのを確認すると、何の説明も無いままシルバは舞台の中央で何故か柔軟体操をやり始めた。
アカネ 「まだ何かあるんですか……?」
そう聞くアカネの声も、大分お疲れである。
シルバ 「うむ、ここまでが我々の為すべき事だからな」
ミコト 「アカネさんは見ているだけで結構ですよ、むしろ見ていて下さい」
そう言われても、そうするしかないのだし。
シルバは立位を終えて座位の柔軟に入る。
シルバ 「……理不尽だろうと何だろうと、一度世界に生じた死という因果は切り取ってもどこかに残さなければならない。大きな意味ではエネルギー保存の法則に当てはまる話なのだが、そうしないと世界に歪みが生まれるからね。ならばその役目はその因果を切り取ってしまった者が負うのが道理というもの。それが、世界を変えようとするための覚悟と代償の一つだ」
アカネ 「は、ぁ……」
また急に難しい事を言われ始める。柔軟体操しながら。
シルバ 「じゃ、アカネちゃん。今日のミッション全てで感じた事、じっくり考えるの宿題ね?」
アカネ 「え……?」
シルバ 「ミコト、後よろしく~」
ミコト 「はい。行ってらっしゃいませ」
皆がアカネを置いてけぼりにしたまま。シルバは柔軟を終え、足を組みピンと背筋を伸ばしてそのまま座る。そしてミコトとシグレに粛々と見られている中シルバは一度大きく深呼吸をすると、あの鉄の爪を自らの胸に宛がった。
そして、
シルバ 「……ジャッジメント・リベレイション!」
解放の言葉と共に胸を掻くと、シルバはやはりイシキと同じく呼吸を断たれ。
シルバ 「か……っ、ぎっ……つ……」
口から泡を吹き、白目を剥いて窒息死してしまった。
アカネ 「……え、ええ!?何やってるんですかっ!?」
シグレ 「まあ、頭おかしいよな。人が死ぬのをわざわざ自分が引き受けるとか」
ミコト 「出来るからと言って、やりたがるものではありませんしね」
2人は控えたまま、倒れたシルバを見つめて動かない。
アカネ 「何でそんな落ち着 死んじゃってるんですよね!?」
とうとう世界か自分かのどちらかが狂い切ってしまったのだろうか。目の前で死なれて、顔色一つ変えず冷静にその人を評するなんて。
混沌の果てに辿り着いたアカネに、だが2人は淡々と語る。
ミコト 「このギルドの正確な使命は、生活の保証と引き換えに世界の理不尽を、その元凶を、一つでも消す事。理不尽な死を無かった事にし、齎された死を齎した者へと返して悪意を更生させ、結果の現象の矛盾を自分達が痛みと共に引き受けて解消する。そうして、死ぬという事に向き合った者に考える機会を与える事が、理不尽を無くす事には必要なのです」
シグレ 「一番常軌を逸しているのは、こうやって死ぬ事まで業務の一環になってて、俺らもそれを受け止めなきゃならん事だな。慣れるのとは違うぞ?毎回死なれる事の痛みを俺達も感じ取らなくちゃならん。でないと、俺らは完全に人間じゃなくなる」
アカネ 「…………」
静止するアカネ。
ミコト 「……アカネさん。誤解しているかもしれませんが、マスターはこれでも人間という生き物を愛していて、救いたいと思っているのですよ。勿論、あなたの事も」
アカネ 「私……も?」
ミコト 「知られる事も感謝される事も報われる事も無いこのやり方で、己の信念を貫き通して。だからこそ、私達もそんなマスターを支えているのです」
アカネ 「…………」
ミコト 「……その内分かりますよ」
それは、いつの日になるのだろう。
そう思っても、問いかける事も解を与えてくれることも無いまま、ミコトは死んだシルバの傍らに銃を持ってひざまずき、その頬に手を添える。
ミコト 「お疲れ様です、マスター……」
そしてこれまで見た中で最高の慈愛の表情を向けたと思ったら、手にした銃をシルバの腹部へと突き付け、
ミコト 「彼の者に在るべき命の姿を、『完全懲悪』」
言うと同時に、ミコトの銃の撃鉄がガツンと音を立ててその弾を撃ち放ったのだった。
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